▲大鳳(昭和19年5月中旬 タウイタウイで作戦待機中)
空母「大鳳」はそれまでの日本空母とは全く設計や運用構想の異なる次世代装甲空母として、
空母の最大の弱点である飛行甲板に強靭な装甲を施し、250kg爆弾の直撃にも空母としての機能を失う事のないように設計されたが、
厚い装甲板を飛行甲板全面に張る作業に困難が生じエレベーターを2基とし、その間の部分に最大20mmのDS高版を張り、
更にその上に75mmのCNC鋼板を2重目として張って装甲を確保。日本空母郡のエースとしての期待を担って1944年3月に竣工した。
戦艦大和は『不沈戦艦』としての設計思想によって建造されたが、「大鳳」はそれと同じく『不沈空母』として設計され、
まさに日本の造船技術を結集した名艦と呼べるものだった。
最新鋭空母として期待された「大鳳」は第一航空戦隊に所属。マリアナ沖海戦に旗艦として参加し、Z旗も掲げた。
しかし、戦闘開始直後の艦載機発進の際に米潜「アルバコア」の魚雷が右舷前方に命中。
命中したのが一本ということもあり航行に支障をきたすことはなかったが、衝撃によって前部エレベーターが故障、
零戦を載せたまま停止したため軽質油タンク上部甲板の接手が緩み、ガスが格納庫内に漏れだすというアクシデントが発生した。
そしてその後、第二次攻撃隊発進と第一次攻撃隊収容の為エレベーター孔を塞いだとき、出口を塞がれたガスはあっと言う間に艦内に充満した。
午後2時32分、そのガスに何らかの理由(換気扇の火花?)で引火、大爆発を起こして3万トンの巨大空母は炎に包まれた。
鉄甲板が仇となり、爆発の衝撃は甲板を何箇所も盛り上がらせ、すべて内側に収縮。内部の爆発は強力な物となり搭乗員の殆どは助からなかった。
消火設備は全て破壊されてしまい、被害復旧の見こみは爆発の瞬間になくなっていた。
16:28、左に傾斜した大鳳はそのままマリアナ沖の海中に没した。日本空母史上最高傑作と言われた最新鋭高性能空母のあっけない最後だった。
最近、「大鳳」の甲板は実は木甲板ではないという説が出た。
光の反射具合のせいかもしれないが、確かに木甲板に見えないこともないような気がする。だが、鉄甲板であろう。
大鳳 性能 | |
排水量 | (基準)29,300t (公試)34,200t |
長さ | (全長)260,6m (喫水線長)253,00m (船体全幅)27,7m (喫水下)9,67m |
ボイラー | ロ号艦本式重油専焼罐×8 |
タービン | 艦本式オールギヤードタービン×4 4軸推進 |
出力 | 16万馬力 |
最大速力 | 33,3ノット |
航続距離 | 18ノット-1万海里 |
燃料×満載 | 重油×5,700トン |
乗組員 | 1,649人 |
備砲 | 65口径九八式10㎝連装高射砲×6 九六式25㎜3連装機銃×22 |
艦載機 | (定数/予備)戦闘機(24/0)艦攻(24/1)艦偵(4/0)計52/1 53機 エレベーター×2 |
飛行甲板 | 257,5m×30,0m |
艦名の由来
大鳳 | おおとり(鳳?)の更に雄大なものの意味 |
大鳳 年表 | ||
1941年(S16) | 7/10 | 神戸川崎造船所にて起工 |
1943年(S18) | 4/7 | 進水 |
8/15 | 澄川道男大佐艤装委員長に着任 | |
12/23 | 菊池朝三大佐艤装委員長に着任 | |
1944年(S19) | 3/7 | 竣工。舞鶴鎮守府に籍をおく。第3艦隊第1航空戦隊編入。菊池朝三大佐に艦長発令。 |
4/4 | シンガポール入港 | |
4/6 | リンガ泊地回航。待機 | |
4/15 | 第3艦隊旗艦となる | |
5/12 | リンガ出港 | |
5/16 | タウイタウイ着 | |
6/13 | タウイタウイ発。翌日ギマラス着 | |
6/15 | ギマラス出港 | |
6/19 | マリアナ沖海戦に旗艦として参加。午前中に米潜アルバコニアの雷撃を受け、PM2:32大爆発。夕方沈没 | |
8/26 | 除籍 |