ミシシッピ川(MISSISSIPPI RIVER)

ミシシッピ川は、ミネソタ州北部のイタスカ湖(イタスカ州立公園内)を水源とし、メキシコ湾へ注ぐ全長およそ3,779kmの大河です。世界三大河川の一つに数えられ、アメリカ合衆国で一番長い河川であり、水源のイタスカ湖に降った雨が河口に達するまで、約90日を要します。

五大湖周辺の河川を除くと、ミシシッピ川にはロッキ ー山脈とアパラチア山脈の間のほとんどの河川が流れ込んでいます。また、支流のミズーリ川源流からミシシッピ川河口までの長さは6,270kmで、北アメリカ最大の水系です。

ミシシッピ川本流は、アメリカ合衆国中央部のミネソタ州、ウィスコンシン州、アイオワ州、イリノイ州、ミズーリ州、ケンタッキー州、アーカンソー州、テネシー州、ミシシッピ州、ルイジアナ州の10州を通って流れます。

ミシシッピ川は、オハイオ川合流点(右図No.51)より上流と下流で川の様相が一変します。上流はアッパーミシシッピ川と呼ばれ広大な渓谷の中を流れ、ロック&ダムができる前は浅瀬が多く急流の多い河川でした。下流はロワーミシシッピ川と呼ばれ、平野の中を蛇行しながら流れ、河口に近づくと海面との高度差が少なくニューオリンズ(右図No.62)は0m地帯です。

支流で最も長い河川はミズーリ川でおよそ3,767km、次に長いのがアーカンソー川でおよそ2,364km、最も水量が多いのはオハイオ川です。

ミシシッピ川に最初に到達したヨーロッパ人は、1541年にスペイン人の探検家エルナンド・デ・ソトでした。その後1673年にフランス人の探検家ルイスジョリエットとジャックマルケットが、ミシシッピ川の調査を開始しました。

フランスはミシシッピ川流域の植民地化を進め、北アメリカに広大な植民地を獲得しました。

1755年から1763年の北アメリカのフレンチ・インディアン戦争、ヨーロッパの七年戦争でフランスはイギリスに敗北し、フランスは1763年のパリ条約でミシシッピ川以東のルイジアナをイギリスに、以西をスペインに割譲し、北アメリカの植民地のほとんどを失いました。

1775年に独立戦争が開始され、アメリカ合衆国が建国、イギリスは敗北し1783年のパリ条約でミシシッピ川以東は合衆国領となりました。以西のスペイン領はスペインが確保しましたが、1800年の秘密条約で再びフランスが獲得しました。

ミシシッピ川流域は安定した時代を迎え、1803年にアメリカ合衆国はミシシッピ川以西のフランスの植民地を購入し、ミシシッピ川流域はアメリカ合衆国領となりました。

輸送水路としてのミシシッピ川は、フランス、イギリス植民地時代より始まり、アメリカ合衆国領土編入後でさらに発展しま
した。帆船、平底船、竜骨船等の船により、物資、人の輸送が行われました。しかし人が漕ぐ、船を馬で引く等で、川の遡上は容易ではありませんでした。

オハイオ川のピッツバーグの造船所で蒸気船が建造され、1811年にピッツバーグからニューオリンズに最初の蒸気船が到着しました。以降、蒸気船はミシシッピ川での航行を開始しました。

川を自由に航行できる蒸気船の威力は抜群でした。オハイオ川との間も、1816年には、ニューオリンズ-ルイビル(ケンタッキー州)間2,415kmを24日間で航行していました。ロワーミシシッピ川の支流へも、蒸気船は入っていきました。

1817年にはセントルイス(右図No.46)-ニューオリンズ間を蒸気船は航行し、セントルイスはミシシッピ川最北の港となりました。定期船が通い、人、物資の輸送で繁栄しました。1830年代には150隻以上の蒸気船を港で見ることができました。

セントルイスより上流への蒸気船の遡上は容易ではありませんでした。支流のミズーリ川(上図⑨)、イリノイ川(上図⑧)は航行が可能であったため、ミズーリ川は1819年にセントルイスより最初の蒸気船が航行しました。イリノイ川は少し遅れ、1828年にはセントルイス-ペキン間で定期運行が開始されました。

1829年、ケオカクのデモイン早瀬を調査するため、蒸気船はケオカク(上図No.33)に到着しました。早瀬の調査が実施され運河を造ることが提案されました。ロックアイランド(上図No.26)にも早瀬があり対策が検討されましたが、何も手が付けられませんでした。

しかし、蒸気船は通れない早瀬は引き上げ遡上を続け、航行できる区間で運行を行いました。通れないデモイン早瀬、ロックアイランド早瀬では積み荷の積み替えを実施しました。支流のアイオワ川(上図⑥)のアイオワシティーには、1841年に最初の蒸気船が到着しました。さらに上流はセントポール(上図No.5)を中心として、1850年代にはミネソタ川(上図①)へも航行を開始しました。

蒸気船による交通は発展し、各地の港は繁栄しました。南北戦争(1861~65年)の頃には最盛期を迎えていましたが、その後鉄道の発展により少しずつ衰退していきました。

デモイン早瀬を迂回するケオカクの運河は、1877年に完成しました。さらに遅れ、ロックアイランド早瀬を迂回するモーリンロックは、1907年に完成しました。完成により、セントポールとニューオリンズ間は全て航行可能となり、輸送時間は短縮されました。

ミシシッピ川に最初のロック&ダムが造られたのはミネアポリス、セントポール間で、ミーカーアイランドロック&ダムは1907年に完成しました。しかしすぐにロック&ダムNo.1の建設が開始され、1912年には閉鎖されました。ロック&ダムNo.1(上図No.3)は1917年に完成しました。現在のロック&ダムNo.1はその後再建され、1932年に完成したものです。

1909年河川・港湾法により、また第1次世界大戦(1914~18年)の戦略物資生産での輸送力不足から、ミシシッピ川の輸送力増強が必要とされました。

上流への水深9フィートの大型艀の輸送システムの開発が決定し、1930年に承認されました。これにともない河川管理担当の陸軍工兵隊は、1930年代から1940年代にかけ上流各地26箇所に一斉にロック&ダムを建設し、大型の艀(はしけ)による大量輸送が実現しました。

その後、セントルイスのロック27(上図No.45)は1953年、ミネアポリス(上図No.2)市内のセントアンソニー滝にも2箇所に1956年、1963年にロック&ダムが建設されました。

トラック輸送の全盛を迎え輸送量は減少してきていますが、1970年後半から古くなったロック&ダムの大幅改修が進められ、2000年代も継続されています。

現在の輸送水路は、ミネアポリスからニューオーリンズまでが使用され、セントルイスから上流に28箇所のロック&ダム、1カ所のロックが設置されています。陸軍工兵隊が、水深9フィートで維持、管理を行っています。アメリカ合衆国の内陸の背骨にあたるミシシッピ川は、今後も重要な輸送水路として維持、管理が実施されます。

ニューオリンズより上流の支流の中で、陸軍工兵隊が水深の維持、管理を行っている輸送水路は、ミネソタ川、セントクロイ川、イリノイ川、ミズーリ川、カスカスキア川、オハイオ川、ホワイト川、アーカンソー川、ヤズー川、レッド川で、支流ではありませんがATCHAFALAYA川とメキシコ湾内陸水路モーガンシティ-ポートアレンルートが接続しています。小型クルーザーで航行可能な支流は、CHIPPEWA川、ウィスコンシン川、アイオワ川、デモイン川です。

支流の中のロック川は現在船は遡上できませんが、過去にイリノイ川との間にあったHENNEPIN運河が州立公園としてほとんどが残っているため旅の中に入れました。

旅のポイント

旅は、ミネアポリス港(上図No.1)からミシシッピ川河口(上図No.63)に向け流れを下ります。このため「旅のポイント」は、上流から下流に向けNo.をとっています。河岸には、多くの都市、町、村があり、また多くの工場、プラントがあります。本ページでは全てを網羅できないため、主要な都市、輸送路支流、航行可能な支流の合流点、水上交通路として重要なロック&ダムを主として旅のポイントとしました。

右上のNo.をクリックすると、そのNo.のNASA World Wind・Google Earthの写真ページが開きます。上段が「旅のポイント」、下が「写真」、その下が「緯度、経度、撮影高度」、下段が「写真の説明」になっています。地名等の固有名詞でカタカナ読みのわからないものは、そのまま英字で表示しました。

各都市、町の状況は、NASA World Wind・Google Earthだけではわからないため、ホームページのある都市・町・村はオフィシャルウェブサイト(ない場合は商工会議所)にリンクしました。リンクしている都市・町・村は、「旅のポイント」欄にアンダーラインで表示しました。和訳でリンクしているため、表示に少し時間がかかります。
また「写真の説明」欄のアンダーライン表記は、「Wikipedia, the free encyclopedia」にリンクしています。日本語表記はすぐに出ますが、和訳は文字数が多いため表示にさらに時間がかかります。(和訳がでない場合は、英文でリンク)

写真及び緯度、経度、撮影高度

写真は、Google Earthの精細写真あるポイントはGoogle Earth、ないポイントはWorld Windの写真を使用しました。緯度、経度は、Google Earthの写真は上端中央部、World Windの写真は中心部を示します。写真は、全て上方向が「北」です。

ロック&ダム

各ロック&ダム、ロックの詳細は、陸軍工兵隊のウェブサイトにあります。軍のウェブサイトへのリンクは?のため、下記サイトを検索してください。Google Earthにも、各ロック&ダムの説明、写真があります。(英文です)
●「Upper Saint Anthony Falls Lock and Dam」~「Lock and Dam No.10」(セントポール地区)

http://www.mvp.usace.army.mil/navigation/default.asp?pageid=145
●「Lock and Dam No.11」~「Lock and Dam No.22」(ロックアイランド地区)ロックアイランド地区のサイトには、ロック&ダムの詳細、写真がありません。(Google Earthにはあります。)ロックアイランド地区サイトでダムプールのサイトがありますので、参考にしてください。

http://www2.mvr.usace.army.mil/odrsurvey/Projects/Projects.cfm?PROJ_CODE=MISSRVR
●「Lock and Dam No.24」~「Locks 27 and the Chain of Rocks Dam」(セントルイス地区)

http://www.mvs.usace.army.mil/navigation1/l-d24.html