セントローレンス川(SAINT LAURENT RIVER)

セントローレンス川は、オンタリオ湖キングストン(下図No.14)を起点とし、アメリカ合衆国、カナダの国境を流れ、コーンウォール(下図No.10)よりカナダ領に入り、ケベック(下図No.2)より川幅が広がりセントローレンス湾に流れる、およそ1,197kmの河川です。

セントローレンス川は、五大湖水系の唯一の流出河川(水系図)です。その水は、セントローレンス湾より大西洋に流れます。またセントローレンス航路(St. Lawrence Seaway)の一部です。

セントローレンス川を最初に探検したのは、フランス人の探検家ジャック・カルティエでした。1534年にセントローレンス川の河口付近を調査、翌年再び訪れ現在のモントリオール(右図No.5)に到着しました。1541年、最初の1500人の開拓移民の先行として訪れました。フランスは北米への植民地の拡大を進め、セントローレンス川は北米のフランス植民地の重要な輸送水路として使われました。七年戦争で1759年にフランス軍はケベックでイギリス軍に敗れ、1763年のパリ条約でイギリス領となった後も、その重要度は変わりありませんでした。

=古い運河の時代=

セントローレンス川は、モントリオールまでは障害もなく航行は問題ありませんでした。モントリオールからオンタリオ湖間は68mの高低差があり、途中に幾つもの早瀬がありました。まず問題となったのは、モントリオールのすぐ上流のLachine早瀬でした。フランスは、1689年から早瀬を迂回する運河の建設を試みましたが成功しませんでした。

1779~1783年にかけ、イギリスは軍の輸送のためにサン‐ルイ湖とセントフランシス湖間(上図No.8、No.9間)に小さな運河を4箇所建設しました。(内2箇所は1804年に近くに別の運河が造られ1箇所になりました。) 軍の輸送に使われたため古い軍の運河(Old Military Canals)と呼ばれています。Beauharnois運河の完成で捨てられました。

19世紀に入り、セントローレンス川の各早瀬を迂回する商用輸送のための運河の建設が30年以上をかけ行われました。ロックは27箇所に設けられ、オンタリオ湖への安全な輸送水路が確立しました。

◎Lachine運河

1810年代に入り、陸路を輸送しなければならないLachine早瀬を克服するため、運河のプロジェクトは進みました。Lachine運河はモントリオール側に1821年に建設を開始し、1825年に14.5kmの運河が完成しました。運河の巾は48フィート、深さ4.5フィート、ロックは7箇所に設けられ、巾20フィート、長さ100フィートでした。セントローレンス川、オタワ川(英文)の上流への物資輸送に活躍し、モントリオールは益々輸送港として発展しました。その後、1840年から1848年に拡幅が行われ、運河巾は120フィート、深さ9フィート、ロックはNo.1~No.5の5箇所となり、巾45フィート、長さ200フィートになりました。1871年から深さ12フィートの拡幅が行われました。

1959年に対岸のセントローレンス航路のSouth Shore運河が完成すると、運河は時代遅れになりました。1970年に運河は閉鎖され、モントリオールの運河沿いは荒廃しました。

◎Beauharnois運河

Beauharnois運河は、サン‐ルイ湖とセントフランシス湖間の早瀬を迂回するため、セントローレンス川の南側に建設されました。1842年に建設を開始、1845年に完成しました。運河の長さは24km、ロックはNo.6~No.14の9箇所に設けられ、巾45フィート、長さ200フィートでした。セントローレンス川の北側にSoulanges運河が1899年に完成し、運河は役目を終え1907年に閉鎖されました。

◎コーンウォール運河

コーンウォール運河は、コーンウォール(上図No.10)の西のLong Sault早瀬を迂回するため、セントローレンス川の北側に建設されました。1834年に建設が開始されましたが遅れ、1843年に完成しました。運河は長さ17.7km、巾150フィート、深さ9フィート、ロックはNo.15~No.21の7箇所に設けられ、巾45フィート、長さ200フィートでした。1876年から深さ14フィートへの運河の拡幅が実施され、1889年には大型のロックに変更されました。1959年のセントローレンス航路の完成により運河は捨てられ、運河のほとんどはダム湖に沈んでいます。

◎ウィリアムズバーグ運河

ウィリアムズバーグ運河は、セントローレンス川の48kmの間にFarrans Point運河、Rapide Plat運河、Galops運河の3本の短い運河よ成りました。1843年から1857年にかけ建設され、深さ9フィート、ロックは巾45フィート、長さ200フィート、No.22~No.27の6箇所に設けられました。
・Farrans Point運河は一番下流で、1847年に完成しました。長さは1.2km、ロックNo.22がありました。1897年から拡幅され、1901年に完成しました。長さは1.6km、ロックは古いロックの横に建設され巾45フィート、長さ800フィートになりました。
・Rapide Plat運河は、Morrisburgの村(上図No.11から12kmほど下流)から6kmほどの運河で1847年に完成しました。ロックNo23、No.24がありました。1884年から深さ14フィートの拡幅が行われ、1905年に完成しました。ロックは古いロックの側に建設され、巾45フィート、長さ270フィートになりました。
・Galops運河は、Galops早瀬を迂回するために建設されました。イロコイの村(上図No.11)からCardinalの村(上図No.12)の少し上流まで12kmほどの運河で、建設は東西に分かれ、西のセクションは1847年に完成しました。そして1857年に東西が結ばれ完成しました。ロックNo.25~No.27がありました。1888年から深さ14フィートの拡幅が行われ、ロックも拡大されました。
★ウィリアムズバーグ運河の1857年の完成により、1821年から建設を開始したセントローレンス川は、ようやくモントリオールからオンタリオ湖への安全な蒸気船の輸送水路が確立されました。1959年のセントローレンス航路の完成で、その役目は終わりました。

◎Soulanges運河

Soulanges運河は、Beauharnois運河の代替えとしてセントローレンス川の北側に建設され、1899年に完成しました。ロックは5箇所に設けられ、巾46フィート、長さ280フィートでした。完成と同時にBeauharnois運河に取って代わりました。1959年にセントローレンス航路が完成するまで、運河は使われました。

=セントローレンス航路=

カナダとアメリカ合衆国政府は、五大湖と大西洋を外洋船で結ぶことを検討していました。カナダ政府は先に船舶用ウェランド運河の建設を1913年に開始、1932年に完成させました。また、一部カナダ領土内の運河を先行し建設しました。しかしセントローレンス川の船舶用輸送水路化は合衆国領土内の部分があり、合衆国政府は議会の承認が得られず、ようやく1954年に議会の承認を得ました。カナダとアメリカ合衆国政府は建設同意書にサインし、建設はその年に開始されました。モントリオールからオンタリオ湖間にロックは7箇所に設けられ、サイズは巾80フィート、長さ766フィート、深さ30フィートでウェランド運河と同一で建設されました。なおロックサイズは公開資料により差異があるため、Wikipedia, the free encyclopediaの数値で表記しました。

◎South Shore運河

Lachine運河部分には、セントローレンス川の南側に長さ29kmのSouth Shore運河が建設され、ロックは2箇所設けられました。セントローレンス川の南側川沿いの都市、町は、運河に隣接するようになりました。

◎Beauharnois運河

Soulanges運河部分には、セントローレンス川の南側に長さ24.5kmの幅の広い新しいBeauharnois運河が1929年に建設を開始、1932年に完成しました。ロックは2箇所設けられました。この部分はセントローレンス川に4箇所、運河に1箇所のダムが建設され、巨大なロック&ダムになっています。またダムには水力発電所が建設されました。1954年のセントローレンス航路の建設開始により、航路の一部となりました。

◎Wiley-Dondero運河

コーンウォール運河部分には、セントローレンス川の南岸に6kmほどのWiley-Dondero運河が建設され、前後にロックが2箇所設けられました。ここは、アメリカ合衆国側です。セントローレンス川には、コーンウォール水力発電ダム、Long Saultコントロールダムが建設されました。

◎イロコイ運河

ウィリアムズバーグ運河部分には、イロコイ村のセントローレンス川にダムが建設され、ダムの西岸に短いイロコイ運河が建設されました。ロックは1箇所設けられました。ダムの水位で、オンタリオ湖までの水深を確保しました。運河で呼ばれていますが、ロック&ダムです。

全ては1959年に完成し、五大湖は外洋船で大西洋と結ばれました。セントローレンス川を通過できる船舶の最大サイズは、ロックサイズに制限されるため、ウェランド運河と同じ巾78フィート(23.8m)、長さ740フィート(225.6m)、深さ26フィート(7.9m)です。五大湖、セントローレンス川を航行する船舶の多くは、最大サイズで建造されました。この最大サイズ船は、シーウェイマックスと呼ばれています。最大総トン数の船は、28,502トンの鉄鉱石運搬船です。
航路が完成するまで活躍した古い運河は、そのままメンテナンスもされることもなく役目を終えました。

現在のセントローレンス川は、セントローレンス航路の一部として外洋船のシーウェイマックスが航行できる重要な輸送水路です。セントローレンス川のセントローレンス航路の管理は、アメリカ合衆国側はセイントローレンス航路開発会社(Saint Lawrence Seaway Development Corporation)と陸軍工兵隊、カナダ側はセイントローレンス航路管理会社(Saint Lawrence Seaway Management Corporation)が共同で行っています。

冬場は凍結するため11月頃にクローズされます。オープンは5月頃です。近年は、温暖化の影響でクローズ期間は短くなっています。
情報の詳細は、「五大湖セントローレンス航路システム」のサイト http://www.greatlakes-seaway.com/en/home.html (英文です)にあります。

なお遊覧船(小型クルーザーもこの中に入ります)で、長さ6m(20フィート)未満、または重さ900kg(1トン)未満のボートは、安全性のためロックは通れません。

しかし大型船舶優先の運河です。シーウェイマックスより小さい船なら同席させてもらえますが、そうでない場合は遊覧船が集まるまで少し待たされそうです。

古い運河の中で、Lachine運河は2002年にレジャー船を対象に再開されました。パークスカナダが管理を行っています。運河沿いも再開発が実施されています。レジャー船が対象のため、運河がオープンしている季節、時間があります。パークスカナダのサイトでの確認が必要です。またSoulanges運河も、最近レジャー船を対象として運河を再開する計画があります。

ケベック市より上流の支流の中で、オタワ川、リシュリュー川は航行可能な河川です。セントモーリス川は合流点から21kmほどにダムがあり、それ以上遡上できません。

オタワ川は、セントローレンス川とカナダの首都オタワを結ぶ重要な輸送水路でした。早瀬を迂回するPointe-Fortune運河が1818年に建設され、グレンヴィル運河が1833年に完成し、首都オタワへの輸送水路を造りました。1843年にはセントローレンス川の合流点にSainte-Anne-de-Bellevue運河が建設されました。その後も運河の改善を進めましたが、鉄道との競争に負け輸送水路から脱落しました。その中でもCarillonロック&ダムを1963年に建設しました。現在のオタワ川は、レジャー船を対象とした水路です。パークスカナダが管理を行っています。

またオタワ川のオタワとオンタリオ湖のキングストンを結ぶRideau運河が1832年に完成しました。セントローレンス川より先に、オンタリオ湖に輸送水路が結ばれました。現在も建設当時の原型が残っており、2007年にユネスコの世界遺産に登録されました。パークスカナダが管理を行っており、現在もレジャー船を対象に使われています。

リシュリュー川は、シャンプラン運河を通りニューヨークと結ばれる水路です。詳細は上図の①をクリックしてください。
リシュリュー川の旅がソレル-トレイシーで終わっているため、旅はソレル-トレイシーからセントローレンス川の玄関口であるケベックに下り、ケベックからセントローレンス川を遡上、オンタリオ湖を目指します。

旅のポイント

旅は、リシュリュー川のソレル-トレイシー(上図No.1)よりセントローレンス川を下りケベック(上図No.2)へ、ケベックよりセントローレンス川を遡り、オンタリオ湖との接続点(上図No.14)を目指します。このため旅のポイントは、上図No.2から下流から上流に向けNo.をとっています。主要な都市、町、村、水上交通路として重要なロックを主として旅のポイントとしました。

右上のNo.をクリックすると、そのNo.のNASA World Wind・Google Earthの写真ページが開きます。上段が「旅のポイント」、下が「写真」、その下が「緯度、経度、撮影高度」、下段が「写真の説明」になっています。地名等の固有名詞でカタカナ読みのわからないものは、そのまま英字で表示しました。ケベック州のフランス文字は英字で表示しました。

各都市、町の状況は、NASA World Wind・Google Earthだけではわからないため、ホームページのある都市・町・村はオフィシャルウェブサイト(ない場合は商工会議所)にリンクしました。リンクしている都市・町・村は、「旅のポイント」欄にアンダーラインで表示しました。和訳でリンクしているため、表示に少し時間がかかります。但しケベック州はフランス語圏のため、フランス語で表示した都市、町があります。

また「写真の説明」欄のアンダーライン表記は、「Wikipedia, the free encyclopedia」にリンクしています。日本語表記はすぐに出ますが、和訳は文字数が多いため表示にさらに時間がかかります。(和訳がでない場合は、英文でリンク)

写真及び緯度、経度、撮影高度

写真は、Google Earthの精細写真あるポイントはGoogle Earth、ないポイントはWorld Windの写真を使用しました。緯度、経度は、Google Earthの写真は上端中央部、World Windの写真は中心部を示します。写真は、全て上方向が「北」です。